苦しい時に口ずさむと、心が安らかになる歌がある。川崎栄子さん(76)にとってそれは、演歌の女王、故・美空ひばりさんの1951年のヒット曲「越後獅子の唄」だった。川崎さんは朝鮮人の両親の元で生まれた。高校生の時、祖国建設の夢を抱き、帰還事業に参加して一人で北朝鮮に「帰国」。しかし、「地上の楽園」と宣伝されていた祖国はひどく貧しく、自由に物が言えない恐怖政治の国だった。数少ない楽しみの一つは、信頼できる友人たちと密かに自宅に集まり、懐かしい日本の歌を歌うこと。もちろん当局に知られれば、処罰は免れない。2018年9月9日北朝鮮建国70年。平壌で軍事パレードが行われた。物々しい軍靴の音に隠れて、どこかで悲しく、小さな歌声が聞こえてはいないか。彼の地の市井の人々の思いを想像し、そっと耳を澄ましてみる。