在日韓国・朝鮮人やその日本人妻らが北朝鮮へ渡った「帰還事業」が始まって60年となる14日、第一便が出港した新潟港では、日本へ戻ることなく現地で亡くなった人たちの追悼集会が開かれました。主催者の代表を務める川崎栄子さんが宣言文を読み上げ、「離散家族になった人たちは親兄弟の死に目にもあえない」と述べ、事業で離ればなれになった人たちの再会がかなうよう訴えました。日本人の妻として北朝鮮へ渡り、子どもが6人いた斉藤博子さんは「現地でなくした4人の子どものことを思い出していました。今も現地に残っている子もいてこの状況をなんとかしたい」と話していました。